熊本市中央区にご鎮座する藤崎八旛宮は、例大祭で奉納される放生会(ほうじょうえ)が、古くより地域の一大祭りとして親しまれてきました。
熊本市の総鎮守として、一千年以上のも古い歴史を持つ神社です。
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見事に飾られた藤崎八旛宮の「飾馬」
藤崎八旛宮といえば秋の例大祭に行われる「放生会(ほうじょうえ)」が地元の一大お祭りとなっており、大人から子どもまで多くの人出で賑わいます。
大きな鎧を着用し兜を被った隋兵と、これに従う百騎の武者達が堂々たる武者行列をなし、400年もの間受け継がれてきた獅子舞が独特の音楽の中で舞い踊ります。
最後には凛々しく飾られた馬が登場し、次から次に威勢よく駆け出します。現在ではなんと70頭の馬が飾り馬として奉納されるのだとか!
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藤崎八旛宮のご由緒
藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。
鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヵ所に埋めたところ、この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。
(藤崎八旛宮 社記による)公式ページより引用
藤崎八旛宮は令和2年でご鎮座が1085年にもなる、深い歴史がある神社です。
そしてとっても気になるのが、八旛宮の「旛」の漢字。一般的に多い八幡宮は「幡」の字が使われますが、なぜこの「旛」が使われるのか?
答えは藤崎八旛宮の公式ページに載っていました。
藤崎八旛宮の「旛」は、天文11年(1542)、後奈良天皇宸筆の勅額に拠るものである。創建以来、歴世朝廷の御尊崇はもとより、世々の国司、地頭、藩主から万民に至るまで広く信仰をあつめ一国の宗廟と称され、神威は赫赫として四隣に輝いた。
公式ページより引用
細かい所はちょっとわかりかねますが、後奈良天皇がお書きになられた勅額がこの神社が「八旛宮」と伝えられる所以となっているようです。
「宸筆」とは天皇自らが書いた文書のことで、中世以前のものはほとんど残っておらず、現代では国宝級の重要な歴史物となっています。天皇自らお書きになられたのなら、これは残すしかないですよね!妙に納得です。
御祭神
- 応神天皇(おうじんてんのう)
- 住吉大神(すみよしおおかみ)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
藤崎八旛宮には15代天皇として知られる応神天皇と、海や航海の神様住吉大神、そして応神天皇をお腹にを身ごもったまま三韓征伐を行った神功皇后がお祀りされています。
応神天皇は別名:誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、なんと110歳で亡くなったとされるご長命で、広くは八幡神と呼ばれます。
勝負運や勝利祈願、出世運、開運など、勝負に関するご利益があると言われます。
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藤崎八旛宮へのアクセス
公共交通機関の場合
- バスで「藤崎八旛宮」下車後、約5分
- 路面電車「水道町」下車後、徒歩約15分
車の場合
- 九州道「植木IC」より約35分
- 熊本空港より約30分
- 専用駐車場有り
■藤崎八旛宮
熊本県熊本市中央区井川淵町3-1