熊本市南区にご鎮座する六殿神社(ろくでんじんじゃ)は、源為朝が居城したとされる縁の地で、国指定重要文化財にも認定された立派な楼門がある神社です。

毎年春になると、思わず写真におさめたくなるような桜と楼門が美しい日本の風景を作り出します。

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重要文化財の楼門が美しい六殿神社

六殿神社の重要文化財に指定される楼門は、萱葺屋根の2階建て、高さが7.8mにも及び、古代の和風を基調として建てられています。

なんと釘を一本も使っていない楼門で、支輪の曲線や複雑な軒廻りなど、足利時代末期の建築様式の特徴を反映しており、精工で優美、そして繊細で華麗な佇まいで多くの人を魅了しています。

1907年(明治40年)に特別保護建造物として、熊本県で初の国指定重要文化財に指定されました。1929年(昭和4年)には国費で修繕され、現在に至ります。

淡いピンクの桜・緑の木々と共に佇む歴史ある石鳥居、そして萱葺屋根の朱色の楼門がめちゃくちゃ美しいー!そして実際に楼門をくぐれるなんて光栄ですね。

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六殿神社のご由緒

元々、木原山と称されていた雁回山の本宮は、後白河天皇の御代(1155-1158)、保元の乱での強弓で名高い平安時代末期の武将・鎮西八郎為朝(源為朝)が木原城に居城の折、阿蘇宮を崇敬し、西国安鎮祈願の遙拝殿を立てたのが始まりと伝えられてます。

その後、治承2年(1178)高倉天皇の勅願にて鎮西地方の鎮護の宮として本宮創建の御綸旨を賜り、時の内大臣の平重盛が、緑川沿いの菰江の地に着船。阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、氷川大明神、稲荷大明神を総称して六殿大明神と号し、木原明熊に仮宮を建てたのが六殿神社の創建です。

寿永元年(1182)肥後守菊池隆直を社殿造宮の任にあたらせ給い、直ちに木原山麓の現在地に御社殿を造営し、神領750町を寄進。更に神護寺として円福寺(不動明王ほか5体安置)を建立し、社僧20人をつかわしてその任に当たらせました。

~中略~

天文18年(1549)宇土城主の名和伯蓍守顕忠は、宝殿の建立をはじめ、飛騨国より名番匠の甚五左衛門を招いて「釘無しの門」とも称される楼門を奉建しました。

天正16年(1589)には、キリシタン大名の小西行長が宇土城城主となり、領内の社寺を焼討します。

本宮は、勅願社の故を以ってその神域を懼れ火難はまぬかれたものの、神領や宝物は掠奪され、社内は乱妨狼藉を極め、本地堂等を焼失し、円福寺本尊は山中に隠され、木原不動奥の院として奉安されます。慶長5年(1600)加藤清正は、本宮に於て宇土城攻略の戦捷祈願をなし、その制札を立て、乱妨を禁じ、神領を寄進し社殿を改修しました。

公式ページより引用

御祭神

  • 【六殿大明神】:阿蘇大明神(あそだいみょうじん)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ)、諏訪大明神(すわだいみょうじん)、氷川大明神(ひかわだいみょうじん)、稲荷大明神(いなりだいみょうじん)
  • 配祀神:八幡大神、若宮大神、甲佐大神、山王権現、熊野権現、妙見大神

六殿神社には阿蘇大明神をはじめ、天皇の祖先神である天照皇大神など6柱の神さまを総称して六殿大明神がお祀りされています。

古くから細川家藩主の崇敬も厚く、絵馬や安泰祈願大灯篭が現在にも残っており、心願成就厄除け、開運招福などのご神徳をいただけるお宮として、人々に親しまれてきました。

六殿神社近くで神社めぐり

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六殿神社へのアクセス

公共交通機関の場合

  • JR「宇土」駅よりバスで約10分
  • バス「木原不動前」より徒歩約15分

車の場合

  • JR熊本駅より約30分
  • 熊本空港より約40分
  • 専用駐車場有り

■六殿神社

熊本県熊本市南区富合町木原2378