熊本市北区には白川を挟んで「弓削神宮」と「弓削神社」の2社のお宮がありますが、今回は弓削神宮についてご紹介します。

こちらの弓削神宮は浮気封じや夫婦円満の信仰が古くからあり、境内にはインパクト大のご立派すぎる(?!)あるものが奉納され、さらに背筋がぞっとするような物も大量に奉納されているのです。

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浮気封じの「弓削神宮」は男根・女陰木がインパクト大!

弓削神宮は古くより「浮気封じ」の信仰が厚く、境内には思わず目を疑うような、人によってはニヤッとしてしまうような、場合によっては気まずくなるような…w、ある巨大なものが奉納されています。

その正体は社殿の脇に奉納される女陰木と巨大な男根で、しかも男根の筋(⁉)の隙間にはじっしりとおみくじが!私は女なのでよく分かりませんが、これは痛くないのかしら…?笑

大量に奉納される釘が打ち込まれた男根・女陰木

境内にはここだけでなく、他の社殿にもご立派な男根を模した木が奉納され、社殿の中には少しおぞましい程釘が打ち込まれた木が奉納されています。

男性器を模した細長い木の棒と、平らな木板は女性器を模しているとされ、パートナーが浮気しないことを願って、無数の釘が打ち込まれているのです。これを見ると、この世では人間が一番怖いのかも…と思わず思っちゃいますね。。🙀

少し離れた場所にある弓削神社も同様に、浮気封じを願った人が釘を打ち込んだ木が無数に奉納され、中には藁人形まで奉納されています。その昔、弓削神社はうっそうと草が茂っていたようで、夜な夜な藁人形を打っている人もいたのだとか。

なんともインパクト&人間の恐ろしさを感じる弓削神宮&弓削神社…!!

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弓削神宮のご由緒

今よりおよそ760年前の元仁の頃、第86代後堀河天皇の御代と古老より代々言い伝えがある。

天正10年島津義弘が御船の甲楽宗雲を攻せんし時、その配下の新納武蔵忠元の軍政に社殿を荒らされ、神器宝物ことごとく失い、有住、有任の両名漸し御体を奉持して難をさけたといわれる。
その後明治45年に不慮の火災に遭い、残された神器宝物の一部と神宮の記録一切が焼失した。
このため大正2年現社殿が築造された。

弓削神宮境内由緒書きより引用

なぜ弓削神宮では男根や女陰木が奉納されたのか?

陽形物奉納の起因と由来
弓削は古代弓削部の置かれた処で伝説によるとその昔、この里に藤子と云う妖艶華麗な姫が住んでいました。
ある日朝廷を追われた法王(弓削の道鏡法師)出身地の弓削部を尋ねて偶然、藤子姫を見染め遂に深い契りを結んだのでした。
それからというものは藤子姫の献身的なもてなしと交合よろしきを得て、さすがの大淫蕩をもって知られる道鏡法師も以来よき夫となり、この里に安穏の日々をおくったということである。
この陰陽相整うということが即ち万物生育豊作を意味し、村人が藤子様と恐れ崇めまつるのも亦、由縁さきことではありません。
性器を崇拝し天地陰陽の相合によって農作物の豊穣を祈願したという古代民族の信仰のありかたを想像すると豊作の祈願のために奉納したものと思われる。
要は夫婦和合一家団欒を願い子孫の繁昌を祈るあまり何時の頃からか夫の浮気封じの願いをかける神として崇められるようになったと思考される。

弓削神宮境内由緒書きより引用

弓削神宮は「女神」、弓削神社は「男神」と言われ、2社には深いつながりがありますが、その真相はこの藤子姫弓削の道鏡法師の関係性にあったということですね。

それぞれの性器を崇拝することで万物生物豊作を願う、なるほど、全ての生命・植物が生まれるには一番大切な事なので、そんな理由があるのか~と思いました。

御祭神

  • 第四十六代孝謙天皇(女帝)
  • 側社:藤子姫

弓削神宮には藤子姫と共に、女性である孝謙天皇がお祀りされています。

弓削神社の男神が2社の間にある白川の飛び石を渡り、毎夜女神の元へ通っていた言い伝えから、五穀豊穣のほかに浮気封じ、夫婦円満、子授け、安産、縁結び、家内安全、家庭円満などのご利益があると言われる神社です。

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弓削神宮へのアクセス

公共交通機関の場合

  • 豊肥本線「光の森駅」より徒歩約30分
  • バス「菊陽バイパス入口・弓削立体橋」より徒歩約15分
  • バス「運動公園入口」より徒歩約20分

車の場合

  • JR熊本駅より約32分
  • 熊本空港より約22分
  • 駐車場(7台)有

■弓削神宮

熊本県熊本市北区弓削6丁目21-20