熊本市南区にある日吉神社は、鳥居の上に三角のような形の屋根が乗っている、全国的にも珍しい「山王鳥居」がある神社です。
熊本県肥後の国藩主であった細川家の産土神として厚く信仰され、中世には天皇のご祈祷所として、肥後の国有数の神社として栄えました。
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日吉神社は珍しい山王鳥居がある神社
日吉神社には、日本全国各地にある鳥居の中で珍しい「山王鳥居」があります。
山王鳥居とは別名合掌鳥居・総合鳥居・日吉鳥居とも呼ばれ、鳥居の上に棟柱を立てて木材を合掌形に組み、その頭上に鳥頭(からすがしら)と呼ばれる反った木を置いた独特の形をしています。
▼山王鳥居
なぜこの様な独特の形をしているのか?山王鳥居の起源について調べてみると、どうやら仏教の胎臓界・金剛界と神道の一体化を表しているのだそうで、山王鳥居は山王信仰の象徴ともいわれています。
山王信仰とは最澄が比叡山にて天台宗を開いた際、唐の天台山の神である「山王弼真君(さんのうげんひつしんくん)」を模して、比叡山でも山王権現をお祀りする事としました。
その際、元々比叡山では日吉大神をお祀りしていましたが、この日吉大神を山王権現と呼び、仏教と神道の合一という形で祀られることとなったのです。
山王鳥居は山王権現・日吉大社の神仏習合によって、山王の教えと文字を形にした結果、このような独特の形に鳥居になった、と伝わっています。
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日吉神社のご由緒
当社は、近衛天皇の仁平3年(1153)肥後の地方官として着任した石浦河内守経国が朝廷に願い出て、近江国(滋賀県)の比叡山の日吉大社の御分霊を勧請し、国家安泰・宝祚(天皇の御在位)延長の勅願所(天皇がご祈祷される所)として、また神蔵荘(十禅寺・平田・近見・高江・元三・西牟田・木部・画図・田迎・世安・本山・春竹・琴平などを含む716町5反の地)一円の鎮守として創建した由緒ある神社です。
平安時代末の78代二條天皇、鎌倉時代の82代後鳥羽天皇、87代四条天皇、宝祚延長等の御祈願(勅願)がなされるなど、中世においては肥後国有数の神社として栄えました。
その後、豊臣秀吉の時代に肥後の領主佐々成政の暴政により社殿等を焼かれ社領も没収され甚だしく衰微しますが、後の領主加藤清正公、細川家3代藩主綱利公により社殿も祭典も再興され、以後細川家歴代藩主の信仰も厚く、特に6代藩主重賢公の時には細川家の産土神と定められ、重賢公以降は細川家の家督相続、嫡子の安産、誕生等の度に御祈願の使者を遣わされるなど再び御社頭の繁栄を見ました。
明治維新の版籍奉還・廃藩置県により藩政が終わり、旧藩主細川氏も東京へ移住され細川家の保護もなくなり、明治以降は、以前ほどの繁栄はなくなりましたが、氏子・崇敬者の厚い信仰に守られ今日に至っております。
御祭神
- 大山昨神(おおやまくいのかみ)
- 大己貴(大国主)神
- 日吉山王二十一社の神々
- 相殿神:国常立神、国狭槌尊、惶根尊、伊弉冉尊、天之忍穂耳尊、瓊々杵尊
日吉神社にお祀りされているのは大山昨神(別名:山王権現)で、神話の中では丹塗矢(赤く染まった鏑矢)に化身する神といわれています。
大山昨神は山の神として厄除けや開運、家系繁栄、醸造の神さまといわれており、娘は後に神武天皇の后になります。
日吉神社の総本宮は滋賀県大津市の「日吉大社東本宮」で、京都の松尾大社や東京都の日枝神社にも大山昨神が祀られており、珍しい山王鳥居を見ることができます。
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日吉神社へのアクセス
公共交通機関の場合
- JR「平成」駅より徒歩約15分
- 熊本バス「十禅寺」より徒歩3分
車の場合
- JR熊本駅より約6分
- 熊本空港より約35分
- 駐車場15台有り
■日吉神社
熊本県熊本市南区十禅寺2丁目15-3