赤間神宮の御朱印

山口県下関市にご鎮座する「赤間神宮」へ参拝してきました⛩

下関市の中でもとくに有名な神社でもある赤間神宮は、歴史の教科書にも出てくる平家と源氏の戦いに大きな縁のある神社としても知られています。

まるで竜宮城の様な美しい赤間神宮の御朱印や見どころについてレポートしていきます✨

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山口県下関市にある赤間神宮へ

山口県下関市のパワースポット神社

やってきました赤間神宮!下関駅前からバスで約15分ちょっとで辿り着いたのですが、すぐ目の前は海、そして大きな鳥居が立っています。

現在この場所の地名は阿弥陀寺町となっていますが、元々この辺りは赤間関と呼ばれていたそうで、九州や大陸との交通の要地となっていた場所なのだそうです。

赤間神宮の境内図-マップ

↑こちらは入り口に立っていた赤間神宮の境内案内図

有名な水天門のほか平家一門の墓や耳なし芳一堂まで、なかなか歴史に縁のありそうな建物がたくさんある様です。ではでは、早速参拝に参りましょう~✨

赤間神宮の楼門・水天門

赤間神宮の楼門・水天門

鳥居をくぐるとすぐ目の前には朱色が美しすぎる「水天門」が建っています。

周りの緑や空と雲も相まってめちゃくちゃ綺麗ですね~✨

水天門

こちらの楼門はまるで竜宮城の様な美しい水天門ですが、ここ赤間神宮にまつられている安徳天皇が入水して最後を遂げたとのことで、海の中にある竜宮城の様な門となっているのでしょう。

真っ白な土台と朱色、そして屋根の深緑のコントラストがすごく綺麗です。

安徳天皇縁の赤間神宮の水天門

金ぴかに輝く「水天門」の神額

楼門って見た目全体も美しいんですけど、細かく見ると屋根の下の梁や柱もかっこ良いんですよね~✨なんだか匠の技(⁉)の様で、芸術的でかっこ良くないですか?

この美しい赤間神宮の水天門は、国の登録有形文化財に指定されています。

山口県下関市のパワースポット神社

水天門をくぐって社殿側から見ると、目の前には道路を挟んで関門海峡の海と、海の対岸に位置する福岡県北九州市の町が見えます。

昔ここで大きな戦があったなんてとても信じられない様な、今ではすごくのどかな光景が広がっています。

赤間神宮のご由緒

赤間神宮の歴史

赤間神宮は壇ノ浦の戦いにてわずか8歳という幼さで亡くなった「安徳天皇」を祀る神社です。

元々この地では845年に開かれた阿弥陀寺があり、1191年後鳥羽上皇の勅命によって御影堂が建立されました。明治時代になってから「天皇社」と改称され、明治8年に「赤間宮」となって社殿が造営されました。

その後昭和15年に「赤間神宮」と改称されましたが、第二次世界大戦時に社殿は焼失してしまいます。焼失後は長い月日をかけて再建され、昭和40年にまるで龍宮の様だと讃えられる様な社殿が完成し、今に至ります。

御祭神

  • 安徳天皇(第81代天皇)

壇ノ浦の戦いと安徳天皇の最後

壇ノ浦の戦いは、源氏と平氏の最後の合戦!

源平合戦が佳境を迎え、いよいよ平家が敗北する…となった時に、平清盛の妻である平時子(二位尼)が死を覚悟して、三種の神器のうちの草薙の剣・八尺瓊勾玉を携え、お付きの女官に八咫鏡を携えさせます。

そして孫である幼い安徳天皇を抱き寄せると、安徳天皇は「どこに連れて行くのですか?」と尋ね、平時子は「波の下にも都がございます。そこへお連れするのですよ。」と伝え、共に入水する…という壮絶な最後を遂げるのです。

わずか8歳でそんな運命を遂げてしまうなんて😢

歴代天皇の中でも最年少で生涯を遂げることになった安徳天皇ですが、実は生きのびていた⁉という言い伝えが全国各地にいくつもあるそうで、私個人的にはそうであってほしいなぁ~と思うばかりです。

赤間神宮に三種の神器・八咫鏡がある謎

赤間神宮には八咫鏡があった!

赤間神宮の社殿前には「八咫鏡奉鎮」の石碑が建っていました。

三種の神器とは八咫鏡・草薙の剣・八尺瓊勾玉の3つで、代々天皇の皇位継承の儀式の際に受け継がれてきているわけですが、今現在八咫鏡は伊勢神宮内宮に、草薙の剣は熱田神宮、八尺瓊勾玉は皇居御所に安置されています。

では、なぜ赤間神宮に八咫鏡があるの⁉となるのですが、これはどうやら安徳天皇が入水した壇ノ浦の戦いと、その後に関係がある様です。

安徳天皇入水の際、三種の神器は一緒に海へと入ったのですが、草薙の剣以外は箱がプカプカと浮いて、敵であった源氏が回収できたとされています。

しかし、実は平家の家臣が八咫鏡を回収して岡山県に逃げ、昭和になってから岡山の八咫鏡が発見され、話し合いの末、安徳天皇を祀る赤間神宮にまつられることになった、とのことです。(諸説あり)

なのでこの石碑には「第10第崇神天皇~第81代安徳天皇までの1276年間継承されていた八咫鏡」と書かれています。

え、なら結局伊勢神宮と赤間神宮のどっちが本物なの⁉と疑問になるのですが、実際は謎ですよね~。源氏は本当に回収できてたのか?それとも岡山の方がレプリカ⁉うぅーん、、

現在奉られる八咫鏡は天皇でさえ見ることが許されないのですから、実物を見比べることもできませんし、謎を解明するのはなかなか難しいところでしょうか🧐

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赤間神宮の見どころ

赤間神宮のみどころをご紹介♪

ここからは赤間神宮の見どころをご紹介していきます♪

まずは狛犬好きにはたまらない、赤間神宮の狛犬さん↓

赤間神宮の狛犬

赤間神宮の狛犬さんはなんだか中国系な雰囲気!

胸元には鈴の様なものが付いている狛犬さんですが、こちらは中国大連の花崗岩を現地で掘って作られたそうで、細かい装飾などもくっきりと彫られた狛犬さんでした。

たてがみがコテで巻いた様なくるくる巻き毛&スーパーサイヤ人みたい(⁉)に逆立っててカッコいい✨

水天供養塔・耳なし芳一堂・平家一門の墓

水天供養塔

社殿横には「水天供養塔」「耳なし芳一堂」「平家一門の墓」があります。

赤間神宮は耳なし芳一の舞台となっている場所で、奥の朱色の祠が耳なし芳一堂となっています。

平家一門の墓は近づくと少し異様な感じがしたので、今回はお参りせずに帰りました。

安徳天皇の御陵

安徳天皇を祀る地

赤間神宮には安徳天皇の御陵もあり、現在の姿は明治維新後に整備されたそうです。

薄墨の松

薄墨の松-赤間神宮

こちらは水天門をくぐった所になるのですが、枝をニョキっと伸ばした「薄墨の松」があります。

背も高くて空へピーンと伸びているのですが、横に伸びる枝は丁度海の方角へ伸びていて、安徳天皇や平家一門が散った壇ノ浦のことを思うと、なんだかしんみりする様な気持ちでした。

赤間神宮の境内社

ここからは赤間神宮に祀られる境内社のご紹介です!

日本西門・鎮守八幡宮

日本西門鎮守八幡宮・下関市

赤間神宮の境内社の中でも一際大きいのがこちらの「日本西門・鎮守八幡宮」です⛩

こちらは赤間神宮ができるもっと前の859年、日本西門の鎮守として創建された神社で、八幡大神と神功皇后がまつられています。

下関は本州の端っこですからね~、「西門」とされている所から見ても、かなり要所とされてきた場所なのでしょう。

神社に祀られる大木の根

鎮守八幡宮のすぐお隣には、どでかい木の根が祀られていました。どういった経緯でまつれているかは不明でしたが、巨木好きにはたまらないビジュアルです。かっこいい!笑

天神社

天神社・赤間神宮

赤間神宮の社殿と鎮守八幡宮の真ん中に、少しぽつんと佇んでいるのが「天神社」

天神様といえば菅原道真公、学問の神さまとして崇敬されています。

大連神社・紅石稲荷神社

鎮守八幡宮と天神社は赤間神宮すぐ隣に位置するのですが、向かって右側へもっと進むと「大連神社」「紅石稲荷神社」へと続く階段が見えてきます。

大連神社・紅石稲荷神社-下関市

こちらの階段を登ると大連神社⛩

水天門や朱色社殿の華やかな赤間神宮とは打って変わって、こちらは少し空気も違う様な、落ち着いた森の中の神社でした。大連神社と紅石稲荷神社は御朱印もいただくことができます。

壇ノ浦の戦い・漁釣舟

大連神社へと続く道で見つけた「壇ノ浦漁釣舟」。平家残党はこの地で再起のために漁業を始めたそうで、こちらは当時使われていた釣舟です。

こんな舟で荒々しい壇ノ浦の海へ漁へ出ていたとは、少しこわいような…😱

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赤間神宮の御朱印・御朱印帳

赤間神宮の御朱印をいただきました。菊のご紋入りです✨

この他にも、赤間神宮では境内社の鎮守八幡宮・大連神社・紅石稲荷神社の御朱印をいただくことができます。(赤間神宮社務所にて一緒にいただけます)

赤間神宮の御朱印帳

赤間神宮の御朱印帳・山口県下関市

赤間神宮ではオリジナル御朱印帳も販売されており、私はここで8冊目となる御朱印帳もいただきました✨

持ち運びに便利な小さめサイズの朱色バージョンで、これから赤間神宮の御朱印帳でさらに神社巡りを楽しみたいと思います~♫

赤間神宮へのアクセス

公共交通機関の場合

  • バス(サンデン交通)下関駅より約10分→赤間神宮前下車後すぐ

車の場合

  • JR下関駅より約10分
  • 山口宇部空港から約1時間
  • 無料駐車場有り

■赤間神宮
山口県下関市阿弥陀寺町4-1