福岡県福岡市東区箱崎にある筥崎宮(はこざきぐう)にいってきました💨
筥崎宮は大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮と並んで「三大八幡宮」の一つと言われる神社です。
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福岡市の筥崎宮へ
筥崎宮は真っすぐ続く参道が綺麗に整備されていました。
そして鳥居がずっしり!!見るからに力強い印象がします。
八幡宮とは?
日本各地には〇〇〇八幡宮といわれる神社がたくさんあります。その八幡宮のことをご存知でしょうか。
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)を神様として信仰する神道で、古来から武運の神様といわれる応神天皇(誉田別命(ほんだわけのみこと))を主にお祀りしているお宮です。
ここ筥崎宮は勝負の神様として、福岡県がホームであるソフトバンクホークスが必勝祈願をすることで有名で、選手達がサインをした必勝祈願のパネルが奉納されています。
スポーツや受験など、人生の勝負をかけたい時に八幡神にお願いしてみると良いかもしれませんね😊
筥崎宮のご由緒
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。
創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。
江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
公式ページより引用
御祭神
- 応神天皇(おうじんてんのう)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
- 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
敵国降伏の神額
門に高々と掲げられている「敵国降伏」の文字。
最初に見た時はなんだか怖い感じもしましたが、その名の通り「日本に攻め入ってくる敵を降伏される」という意味があるようです。
鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の際に、敵が退散する事を願って亀山上皇が神門に扁額を掲げました。
襲来によって攻め入ってきた4万の元軍が筥崎宮の社殿を炎上させてしまいましたが、なんとその翌日元軍の兵が忽然と姿を消しました。
筥崎宮を炎上させてしまった事によって八幡大神の怒りをかい、神風によって波間に沈められてしまった、という言い伝えがあるそうです。
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放生会(ほうじょうや)
毎年9月には博多どんたく、博多祇園山笠と並び博多三大祭りの一つである「放生会(ほうじょうや)」が開催され、それはもう凄い大勢の人で賑わいます。
その数お祭り期間一週間でおよそ150万人!!
ちなみに全国各地でこの放生会は行われているのですが、他の地域では「ほうじょうえ」と呼ばれるのに対し、福岡では「ほうじょうや」と呼び方が異なります
放生会は「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りで千年以上続く神事です。
筥崎宮前の参道では毎年たくさんの露店が出店するので、命の恵みに感謝しながら思いっきり楽しんでみてはいかがでしょうか♪
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筥崎宮の御朱印
筥崎宮の御朱印の墨は少し薄め🖌
勝負には強く出たり薄く出たりと、駆け引きも大切なのでしょうか?勝負をかけたい時には筥崎宮で誓いを立てるといいかもしれません✨
筥崎宮にはオリジナルの御朱印帳がない為、事前に御朱印帳を準備してご参拝ください。
筥崎宮へのアクセス
公共交通機関の場合
- 福岡市営地下鉄 → 筥崎宮前駅下車 徒歩3分
- 西鉄バス → 箱崎下車 徒歩3分
- R鹿児島本線 → 箱崎下車 徒歩8分
- JR九州バス → 箱崎丁目下車 徒歩2分
車の場合
- JR博多駅より約15分
- 福岡空港より約15分
- 有料駐車場有り
〒812-0053 福岡市東区箱崎1-22-1